栽培植物起源学で考察するわさびの生い立ち
これまでに訪れた産地は日本全国、中国奥地の300箇所以上!わさびの進化の歴史を明らかにするため、さまざまな土地のわさびのDNAを分析しているのが、岐阜大学植物遺伝育種学研究室の山根京子准教授です。「わさびにはまだまだ解き明かせない謎が数多く残されている」という山根先生と一緒に、摩訶不思議なわさびが歩んできた道筋を科学と歴史の観点からたどってみましょう。
栽培植物起源学が明らかにする、わさびの成り立ち
山根京子先生・岐阜大学准教授がわさびと出合ったのは、京都大学農学部で専攻した栽培植物起源学の題材探しがきっかけでした。栽培植物起源学とは、野生植物から栽培植物が生まれた経緯に関して生じた、さまざまな疑問を解明する学問です。実は日本で栽培が始まった植物は少なく、日本固有のものと思われがちなイネやソバも大陸で栽培化され持ち込まれたもの。日本で栽培化が行われた数少ない植物の一つがわさびでした。
「自分で材料を集められる日本固有種を探していたとき、大学院の先輩がわさびを勧めてくれたのです。調べてみると、これまでに誰一人としてわさびを研究していなかった。そこでわさびに手をつけてみることにしました。
ところがわさびの産地に足を運んでみて、私の心は早々に折れてしまいました。初めに出かけた京都の山奥は、暗くてじめじめとした森の中。到底、魅力的な場所ではなかった。栽培は難しいは、自生する場所は陰気だは、こんな研究は続けられないとすぐに諦めてしまったんです」
山根先生ご自身が撮影した野生のワサビ。日本海要素植物がうまれた環境そのもの。
そこから再びわさびの研究に着手するのに、5年の月日を要しました。大学院修了後、大阪府立大学に採用された山根先生は、「なんでも好きな研究をやっていい」と言われ、久々にわさびの存在を思い出します。
「植物に詳しい高齢者たちにヒアリングをしてみて、わさびが置かれている危機的な状況を知りました。このままではわさびは絶滅してしまうかもしれない。そんな焦燥感に駆られ、わさびの研究に本腰をいれることにしたのです」
家康は食の名プロデューサー
山根先生によれば、わさびは「日本海要素植物」と呼ばれる、日本海側を中心に分布する植物の一つ。低緯度なのに積雪量が多いという日本の気候帯は世界的にも珍しいものですが、その中でもわさびは、日本海側の豪雪地帯の気候に適応して進化した植物だと考えられています。そのわさびが食されるようになったのは室町時代に入ってからのことで、1600年代になると食史上の大きな転機を迎えます。その影には、歴史上の有名人である、あの人の存在がありました。
「ずばり、徳川家康です。駿府城に入城した家康は有東木の山葵を献上されます。これに感銘を受けた家康は、山葵を門外不出のご法度品と定めたとか。残念ながらこの言い伝え自体には根拠がないのですが、1607年に家康が朝鮮国の外交使節団と囲んだ駿府城での宴席に、有東木の山葵が提供されたことを推察できる文献が間接的ではありますが見つかりました」
わさび発祥の地とされる安部郡有東木村の景観。
有東木というのは安倍川上流域にある「わさび栽培発祥の地」で、駿府城はその河口域にあります。「実際、家康の没後は将軍家の食卓に度々、わさびが登場しています。将軍家からの需要があったということは、この時代にすでに栽培が行われていた可能性は十分にあります」と山根先生。江戸時代、ようやく訪れた天下泰平の世の中には食を楽しむという余裕が生まれました。こうした時代背景もあって、食材としてのわさびが徐々に存在感を発揮していったのでしょう。
山葵の自生地であった有東木のその下流に、たまたま家康がやってきたというこの偶然。この偶然を、山根先生は「まるで神さまが書いたような、完璧なシナリオ」といいます。家康を魅了した山葵はその後、天領地の伊豆に運ばれました。船を使えば容易に江戸へアクセスできる伊豆で大量に栽培され、江戸へもたらされたのです。
わさびの地位を不動にした、江戸の郷土食
「寿司にわさび」といえば、日本人にとっては常識といえる組み合わせですが、わさびが全国の食卓に定着した背景には庶民が愛した握り寿司がありました。
「握り寿司発祥の地は、当時、人口100万人を抱えた巨大都市、江戸。その人口の半分は武士であり、武士には年貢収入があったので食事の中心は白米でした。また、男性の比率が異常に高かったことから外食文化が発達、初物食いのような食文化も誕生しています」
このような時代を背景に江戸の四大名物食(そばきり、天ぷら、うなぎ、握り寿司)が生まれます。握り寿司は後発ですが、19世紀前半に江戸に握り寿司が誕生するとこれが一大ブームとなります。その後、関東大震災をきっかけに、江戸の郷土料理であった握り寿司は全国に広まることに。江戸を離れた料理人が地方で店を開き、江戸の食文化が地方に広がったのです。さらに第二次世界大戦後の政策を通じてわさびは全国区の食材となっていくのです。
わさびの独自性を育んだもの
ここまではわさびの歴史をご紹介してきました。ここからはわさびの不思議な成分について考察していきましょう。
「わさびといえば刺激的な辛味が特徴ですよね。この辛味成分はアリルイソチオシアネートといい、わさびだけでなくカラシや西洋ワサビのようなアブラナ科植物に含まれています。ところがわさびの成分を分析してみると、辛味や苦味、風味を司るいくつもの成分によって複雑に構成されていることがわかります。他の植物では代用が効かないのです。
わさびは氷河期に大陸から日本に渡り、ここで進化を遂げました。日本の気候帯は世界的に見ても非常に珍しいと言いましたが、この変わった環境を生き抜くために独自に進化したんですね。そういうわさびの適応力、生命力に感嘆しますし、あんなに辛いものを食べてみようと思った日本人の探究心、好奇心にも脱帽です」
味わいだけではありません。わさびには抗癌作用、抗炎症作用、血液さらさら作用、いろいろな効能があるといわれています。
「古い文献を読むと『うつを散らす』、『歯痛に効く』薬として重宝されていたようです。私自身、がっくりと落ち込んだときなどは確かにうつ状態を和らげる効果があるように感じています。石川県の一部地域では塗り薬として使われていたなど、こうした薬効についてはさまざまな伝承があります」
一方で、食材としてのわさびにもさらなる可能性を感じると山根先生は言います。
「これから発展しそうだと感じるのは、スイーツの食材の一つとしてのわさびです。色もきれいだし、清々しい香りは乳製品によく合いますね。実は味覚に関してもいろいろテストを重ねていまして、油脂、塩、グルタミン酸、甘みそれぞれと一緒にわさびと摂ってもらったところ、油脂と一緒にわさびを摂取するとわさびの辛味が和らぐことがわかりました。こうした性質を利用して、風味や香りを活かしつつも辛味を感じづらくなるように調理すれば、唯一無二の組み合わせのスイーツが誕生すると期待しています」
山根 京子 准教授 : 日本で唯一のわさび研究家・岐阜大学植物遺伝育種学研究室在籍
わさびの未来
このようにさまざまな可能性を秘めた奇跡の食材、わさび。このわさびは現在、かつてない危機を迎えています。
「食文化が変わる中でわさびの消費量も減少しており、それに伴い栽培者も減ってきています。そんな現状に危機感を覚え、わさびの文化を守るために『もっとワサビを食べようプロジェクト』を主宰しています。多くの若者にわさびを食べてもらおうと、オープンキャンパスで学生たちにわさびを振る舞うのです。
わさびが苦手という女子学生らに、すりおろしたわさびをご飯にのせて食べてもらうのですが、ほぼすべての学生が『これはおいしい、これなら食べられる』と言ってくれます。つまり、わさび嫌いの原因はわさびではなく、チューブわさびの激烈な辛味なんですね。こういう機会を通じて少しでも多くの、しかもなるべく若い人たちに本物のわさびのおいしさを知ってもらいたい。そこでわさびに触れる機会を増やそうという働きかけを行っています」
食文化の変化だけではなく、世界的な環境の変化もわさびに多大な影響を与えています。
「国内ではあまり知られていませんが、日本は温暖化によりすさまじい影響を受けている国の一つなんです。気候が変わる中で、日本が世界に誇る生物多様性が失われつつあり、特に降雪量が減少しているエリアでは日本海要素植物がどんどん消えています。守りたいのはわさびだけではない。わさびの魅力を通じて日本の環境の素晴らしさを伝え、こうした多様性を守っていきたいと考えています」